「葬られた主イエス」  05.03.20
                ルカ23:44〜56  

 主イエスが十字架にかけられた時に、とても不思議なことが起こったと
聖書は告げます。
 <昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。> そして、
主イエスは息を引き取られました。

 全地を覆った闇は、人間の罪の闇に違いありません。十字架に向かう
主イエスの周りに、人間の罪の数々が描かれてきました。
 神への無理解や神を拒む罪。神への信頼を失い恐れに縛られている姿。
 ねたみ、あざけり、自己保身などの人間関係の破れた罪の姿。弱さ、
情けなさ…。人間、そして私たち一人一人の抱える闇が主イエスの十字架の
周りを覆っています。ただし注意すべきは、主イエスが罪の闇に襲われている
のではないということです。
 十字架の上の主イエスは、闇に飲み込まれているのではなく、闇のすべてを
担っておられるのです。十字架の上の主イエスは、すべての罪を担う方であり、
そのために主イエスが闇を集めておられるのです。
 そして、それらをすべて抱えて死なれたのが、神の御子の十字架の死です。

 その時、神殿の垂れ幕が裂けました。神殿の垂れ幕とは、神さまと人を
隔てていた幕です。その垂れ幕を、主イエスが裂いてしまったのです。
 それによって天の光への道が開けたということです。
 <イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたし
たちのために開いてくださったのです。…信頼しきって、真心から神に近づこう
ではありませんか。>(ヘブライ10:20〜22)
 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」とおっしゃいました。
 私たちもこのように祈れるのです。

 
どんな闇に囲まれていようとも、たとえ死の闇であってもです。
 神殿の垂れ幕は、主イエスが裂いてしまわれたからです。
 神さまと私たちの間を隔てるものは、ないからです。
 ですから、恐れや不安に縛られるのでなく、父なる神さまへの深い
信頼の中で、祈りつつ、神さまにおゆだねしながら、進んでいけるのです。